2021年5月9日日曜日

今シーズン一発目

  今日は午後から、天気が回復したので足慣らしにペダルを回した。

 追い風のせいで快調に。天王グリーンランドの信号でナマハゲさんまで行くか、戻るか迷うが、広域農道添いの水路と菜花の光景を見たくて右折。

 広域農道に入ると、二、三年前より菜花の生息エリアが減っていて焦る。でも、いつものスポットには、かなり減ってはいたものの生息していたので撮影。

さてと、今年は昨年よりライドをしたいものだなぁ。。。

2021年4月3日土曜日

R03ワラーチ

  まだまだ素足には遠い。

ていうか、一時間そこそこで足の小指あたりの痺れなんて、Lunaサンダルで100km完走したヤツの口から出るあたりダメだべな。

最近はソール厚で選択する方向に。

そーです。早さは求めてはいません。

Lunaサンダル、ワラーチは、人間が如何にスマートに大地を感じながら、安全に長く走るためのもの。






2021年3月25日木曜日

2021ワラーチ初め

  今日の気温はそれほど低くなかったので、ワラーチランニングのシーズンイン。

 久し振りなのか、投薬のせいなのか、良くわからないが前半の苦しさときたらハンパない。

 昨年だったら、ランニング開始から二十分くらい経つと楽になったけれど、今回は違う。

「もう、走るな!」って、体からの合図なのかなぁ?

走行時間は大体一時間くらい。その割りに汗はダラダラと。やっぱ、ダラケきった生活のツケなんだろうな。このままだと、弘前の24時間耐久走はまずい!何とか対策を考えなくちゃだわ!

って、GPSウォッチのタイムを見たら、キロ5分40秒くらいのペースと判明。そりゃ、シーズンインのアラフィフオッサンにしたら、足回りの他に内臓もガタガタになっているんだよな。

是非とも、持久走の走り方と休養のスキルを聞いてみたいものだなぁ。

ホントに良くわからないけれどなー!


2020年10月21日水曜日

ベアフットランデビュー

今日は仕事が早上がり出来たので、サンセットワラーチランニング

日が落ちると急激に気温低下するので、スタート時は素足でO.Kだったのに、日陰に入ると爪先が凍みる。

「人目が少ないところでベアフットランしてみたい!」っていう気持ちが先週から強くなった。

いつものコースから寄り道して、陸上競技場の回りだったら、それなりの灯りもあるし大丈夫だろう、とワラーチを脱ぐ場所を走りながら考える。

先ずは一周!の考えで、脱ぎ履きが出来そうな明かりを探し、ワラーチを脱ぐ。

今頃のアスファルトは冷たい(-_-;)

恐る恐る走り出す。

「結構イケる!」

陸上競技場外周を一周出来た。なんだろうこの感覚。アスファルトなんだけれど、大地とシンクロ出来たような充実感。

調子こいて二周眼に。やはり、後半痛みがきた。次回は三周に挑戦だな( ̄∇ ̄*)ゞ


2020年10月2日金曜日

久し振りの60分ランニング

  日曜日で忌明け。

自粛期間中にワラーチのソールをネットサーフィン。

探していた💀スカル模様のソールを発見。すぐに購入。希望の色は売り切れだったけれど。

早速作ってみた。

紐が細くてなぁ。。

色々と考えることが多くなりそうなんだよな。。

2019年11月4日月曜日

大阪ドームは遠い。。

 十月六日は息子のマーチング東北大会だった。自分のレース、
娘の卓球の試合より緊張した。オヤジは終わって帰宅してから
缶ビール一缶でダウン。まっ、二日酔いもあったのかなぁって。
 高校に入学してから「吹奏楽部に入ってもいい?」って
聞かれたときは「ポカーン」!中学校時は素人大人数の卓球部。
練習は超ヌルユル。それがなぁ。。。
 顧問が前任校でマーチング全国大会出場の実績があり、座奏より
そっちがメインだったという。。。
当然、楽器も吹いたことが無いし、男子も少ないし、歩いてステップ
数えてできるのか?って、本人より親の不安がmax(゜ロ゜)
 楽譜の読みは怪しいみたいだが、それなりに吹くことはできるように
なったみたい。練習時間は、中学校までのヌルユルよりはるかに
長かった。食が細くてヒョロヒョロなのは、誰に似たのかわからないが
体力的に大丈夫なのか心配な部分もあったことは確か。
 くそ暑い夏休みも、暑い体育館で頑張っていたのだよなぁ、って
思うと、精神的にも成長したのかなと。
 たまたま姉貴が数十年前にマーチングの経験があって、いろいろと
聞くことが出来た。姉貴の息子、娘はガチな運動系だったので、まさかの
甥が吹奏楽部に入って、マーチング!で感動していた。
 息子の秋商吹奏楽団は地元開催とあってオオトリ(゜ロ゜)
本人たちより保護者の緊張の方が高かったような。
 「春とドリルが変わった」って、息子が言っていたとおり、息子の
位置もかなり変わって、フォーメーション時の角になっていて、
そりゃもう、ドキドキ感はワンフレーズ終わるまで長過ぎ!
 娘のスポ小時代のデビュー戦は口から心臓が出てくるんでないか?
っていうくらい緊張した。今回も12,3年ぶりに同じくらい緊張した。
 それと同時に「この6分弱の演奏のために、暑い体育館の中で叱られ
ながら、どれくらい頑張ったんだべな!」って、思うと目頭が暑苦しく
なってきた。娘の時は試合の勝負第一でこんなことは微塵も思わなかった
オヤヂはダメだな。
 閉会式での結果は銀賞。ダメ金くらいと思っていたけれどなぁ。。
 大阪ドームは遠いなぁ(/_;)/~~
 オヤヂとしては、今年の内陸100kmマラソンは全国大会への願掛け
だったのだが叶わず。
 あと二年あるから、一回でいいから大阪ドームがダメだったら、
大宮のスーアリでも連れていってくれ!
 来年も願掛けランニングはしなけりゃないよなぁ。。
 

 
 
 
 

2019年9月24日火曜日

令和初の狂走極秋の陣その四

ローソン過ぎの下りは、足裏にダメージを与える。ラスト五キロくらいしか無いのだが。
最後の登りはあきた北空港滑走路の真下。
下りよりは登りの方が、足裏のダメージは少ない。ここまで来ると、ゆっくり庇いながらはしるか、痛みを我慢して、なるべく早くフィニッシュして物語を終わらせるかしかない。自分の性格上、自然と早く終わらせる方を選んだ。
鷹巣の街が一望出来る交差点に到着。「ここまできたんだよなぁ」って感慨。交通量が多い信号なので、警察官指示に従わなければならない。いつものトレーニングでは、信号機が点滅に変わっても横断したりしていたが、ここではそうはいかない。
 交差点を横断し、最終エードまでの下りは長い。エードを過ぎてからの下りはもっと長い。
 最終エードで、大腿筋、ハムストへ最後のスミルステイック消炎剤投入して、ゴールへ向かう。最後の下りが足裏にダメージを与える。「あと2km」の看板から指の痺れがMaxに。最後の1kmまで歩くことにした。ダラダラ歩かずにキロ9分台をキープして。
   商店街手前では「お帰りなさい!ここではまだ歩いていても大丈夫だよ。商店街にはいってからははしってねo(^o^)o」って、優しい声援をくれる。ただ「がんばれー!」だけが声援じゃないんだよな。
  「あと1km」の看板から走り始める。アーケード街に入ると、レースNo毎にフルネームで商店街用のスピーカーを使ってコールされる。これがあるから歩いてなんていられない。
 アナウンス席を過ぎて、後続選手のコールにさっきローソン過ぎで別れたMKさんが。
こんなキツかったレースにランニング仲間とフィニッシュ出来るなんて!
「一緒に行くで!」
「オレ、スピード出せないけど、よろしく。」
って会話のあと、交差点を右折。
「あれっ、100と50って、フィニッシュゲート別だっけ?」
「確か!」
「二人で手を繋いで上げて、フィニッシュ出来ないな。残念( ̄∇ ̄*)ゞ」
大太鼓を過ぎると補助員からコース誘導。やっぱり手を繋いで上げるフィニッシュは出来なかったけれど、今まで一番充実感があったフィニッシュになった気がした。
 まだ三回目の完走だから大したことは言えないけれど
フィニッシュ後のホスピタリティーが向上していてビックリ。足のクールダウン用場所までのアテンド、アイシング用タオル、氷のサービス、ドリンクとか。。。
  手荷物を受け取り、着替えて一休憩して、他のメンバーをさがしてガッカリ。
またまた、自分を誘った先輩はリタイア。それも大覚野手前だったし。おまけに風呂にも入ってきているし、ビールも二杯目飲んでたしな。
  今回は、1月から8月までの練習量も少なかったし、後半は親の通院の世話で週末の練習時間がとれなかったりして大変だったけれど、何とか完走。それもLunaサンダルで!こんなときこそ「自分自身を誉めてやりたい!」なのかな。
令和初のウルトラマラソンはこれにて打ち止め。。。