2011年3月13日日曜日

H23年3月11日:14時46分 その時

 会社の自動販売機でおつりをとった瞬間に、小刻みなゆれを感じた。それから30秒くらい止まらない状態を階段を昇って職場に戻る。いすについたとたん、激しい揺れがかなりの間続いた。テレビをつけて見ると津波警報が!てっきり、日本海側と思っていたが三陸沖が震源だった。輻輳まで時間があるから、実家に電話をかけると何とか繋がり、おやじ、おふくろの安否を
確認。「3年前の内陸地震と同じくらいの揺れだった。」と聞く。
 案の定、カミさんへの携帯へは繋がらない。そのうち、携帯のバッテリーも減ってきた。こんな時に不謹慎だが、Twitterで被災地ツィートを辿る。テレビの画像より鮮明に情報確認ができる。SNSのチカラを感じる。新世紀の情報インフラなんだな。
会社では非常電源に切り替わったので、仕事もできないまま1時間後に、上司より帰社命令がでたので帰途へ。
 外へでると、停電なので信号が消えたままなので大渋滞。仕方なく、1時間ほど吹雪の中を徒歩で家に向かう。だんだん暗くなってきたころ、「飲んで寝るしかねぇ!」って思い、コンビニへ。コンビニも停電中だが、中の客は暴動をおこさずに淡々と
レジに並んでいた。
 うちに帰ると誰も居ない暗いなかを、反射式ストーブを探し出して給油。なんとか点火に成功。そして、非常用ライトの
中、一家でカップラーメンの晩餐。救いは水道とガスが使えたこと。そして8時半ころには就寝。
 夜中に、2時半、4時半ころに余震で目を覚ます。余震が続く中、3月には珍しいくらいの快晴の朝を迎える。
太陽の光のありがたさを実感する。昼でも停電は復旧していない。停電の長期化を懸念し、なおかつ安全を考え家族全員で買い物にでる。簡単な食物を購入して家に。
 18時50分頃、停電が回復。スマホのバッテリーも心配だったが何とかクリアした。教訓は、光回線は事業者給電でないので軽微な被災地ではダメ。SNSの力は凄いものであり、新情報通信のインフラとなりうるものである。ということだった。フォロワーさんの励まし、安否確認ツィートがありがたかったけれど、バッテリーの関係で返信が遅くなってしまった。
新しいネットワークを感じたし、非常事態への備えの弱さも感じた出来事であった。

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