2012年5月23日水曜日

この花が咲くころになると

5月から我が家は誕生日月間が続く。先日は娘、6月は息子、7月は自分、8月はカミさん。にわかに慌しく思うのは自分だけのかなと思ったりする。本来、誕生日って誰を祝うのだろうか?とふと思ったりする。自分が子どもの頃は自分の誕生を祝ってもらうことが当たり前と思っていたが親の立場になって、ちょっと考え方が変わったような気がする。本当は自分を生んでくれたり、育ててくれた周りの人に感謝しなければならないものなのでないのかなぁと。
最近読んだ「日本人の美徳を育てた[修身]の教科書」:金谷俊一郎 著 からの影響なのかなぁ。教育勅語の影で終戦後、日本の教育から抹殺された教科だったらしい。今の日本人が忘れてしまった「当たり前」のことを教えていた。全ての「当たり前」がGHQによって抹殺されたわけではなかったということを、阪神、東日本の両震災での日本人の行動に現われてはいる。しかし、自分を含めて、感受性、吸収性が豊かな年代に世の中の裏ばかり強調して、育てられたり、育てていかなければならなくなった現在は悲しすぎる。
人は容易いこと、目先のことにしか興味がわかなくなってしまったんだよなぁ。
桜の花とか華々しい花だけがチヤホヤされた春のあとでも、雪の下では痛んだ葉のまま我慢して、桜が咲き誇る時期に新しい葉を出し、太陽を目いっぱい浴びてから蕾を膨らませ、堂々と立派に佇む、この「キエビネ」の花のような人生を子どもたちには歩んでもらいたいものだなぁ、と今までの人生が部分日食みたいな生活を送ってきた時代遅れのオヤジの呟きは今夜も空しく綴られる。

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