2012年5月12日土曜日

風化、無常、そして。。。

震災から1年2ヶ月。被災地以外では電力事情を除けば以前の生活に戻りつつある。去年の今頃は確か余震が続いていたような記憶がある。そんな中、岩手県の南部方面に一週間ほど仕事の業務支援に行った。毎日、夜中の2時か3時頃に余震で眼を覚めさせられた。地震発生から2ヶ月たっていたのだが、瓦礫処理の濃淡が地域ではっきりしていたことを良く覚えている。

各メディアから眼にする状態とは違う惨状に最初は溜め息をつくとかの次元ではなかった。そんな中、青い空、青い海は何事も無かったように輝き続けていた。

あの出来事で、少なくとも人間として何かをしなければならない、という気持ちは、国家、人種を超えて芽生えたことは確か。
そういえば、あのころこの歌をずっと聴いていたような気がする→WE ARE THE WORD JAPAN-2011
支援に行っていた日曜日、物見遊山で陸前高田市に来ていた人々たちの数には辟易したものだった。そんな、無常な意識の者たちが、半年経ち、一年経ち増え続け、風化させていくのかも知れない。人間は辛かった記憶を、加齢という消しゴムで消し去る動物らしい。被災地から離れている人たちは意図しなくても震災という記憶を、「加齢」という名のものではなく、知らずのうちに「時間」という消しゴム消し始めているのかもしれない。事実、阪神大震災のときは未曾有の災害と捉えて、政治も与野党一致団結して乗り切ろうとした。しかし、今の状態は何なのだろう。くだらない派閥争いに身を投じている。解決しなければならない出来事は山積しているのに。まあ、愚痴を続ければキリがないのだが。

宿泊場所は遠野市

あの時は旅館で朝食を摂り、夕食の代わりに現場に向えば食堂が無いだろうとのことで、オトナの拳骨を一回り大きくしたおにぎりを持って仕事に向っていた。毎朝、なぜか双子の目玉焼きがついた。6人で宿泊していたのだが必ず一人はハズレの人がいた。そして夕食はホットプレートを持参していたので、何かしらの料理でしのいだ。調理当番は自分、一週間やりとおした。一応、健康を考えてメインは「肉」「魚」のパターンで考えたが、60近くの「肉食系大食」親父の一言で「肉「肉」「肉」「肉」に。案の定、中盤にはみんな飽きてきてしまった。批難の矛先は自分に(>_<)
金曜日の晩、仕方なく居酒屋での食事に変更したら、「刺身って、こんなうめがったがぁ(^o^)」と皆が眼をキラキラさせていたことが目に焼きついている。確かに三陸が近いことも鮮度が良い魚が豊富だった。やはり、ここでも「肉」は避けられず鯨肉の刺身を注文(- -;)
数日後、新聞上に「セシウム基準値が通常値を越えた刺身用の鯨肉が流通。」との記事を眼にした。まぁ、あの肉だとしても、一切れ、二切れだから大したことは無いと、居酒屋に行った面々と顔を合わせるたびに話して過ごしたものだった。
何とか、一週間過ごして帰社の途に。そこでびっくりしたのは、「肉」「肉」の肉食系親父は土産に「ジンギスカン」を土産に買った。そして晩はまた「肉」の夕食にするという。60近くの「肉食系大食」親父の行動には、誰も言葉を失っていた。おもしろいことに、その「肉食系大食」親父は釣りが大好きなのだが、釣った魚は絶対食べないらしい。
一年経ち、ここで過ごした一週間はあんなこと、こんなことがいろいろあって、加齢という消しゴムでも消えることはないだろうと思う。

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